「単語が覚えられない」「歴史の用語が覚えられない」「漢字が覚えられない」「一度覚えても忘れてしまう」という小中学生はかなり多いと思います。また、「うちの子は何度も書いて練習しているのだけれど、なかなか覚えられないようなのです」と言うようなことはこの仕事をしているとよく聞きます。結論から言うと、『当然ですよ』と答えるしかありません。「なかなか覚えられない」とか「忘れてしまう」というのは、人間の脳の仕組み(記憶の仕組み)から見ても仕方がないのです。
記憶には「感覚記憶」「短期記憶」「長期記憶」の3種類があります。「感覚記憶」は感覚器官からの情報をごく短時間保持する記憶、「短期記憶」は一時的な記憶で小さい容量のもの、「長期記憶」は継続的で大きい容量のものです。少し強引ですが、コンピュータに例えると、「感覚記憶」はクリップボード(コピペするときのコピー)、「短期記憶」はCPUの中のRAM、「長期記憶」はハードディスクにあたります。また、普段の生活などで「記憶」というとき最も一般的にイメージされるのは「長期記憶」です。
では、それぞれの記憶をもう少し詳しく説明していきます。人間(動物も本能的なことはほぼ同じです)は、感覚器官(目・耳・鼻・舌・皮膚)からの情報をそのままの形で脳に「感覚記憶」としてごく短時間保持します。「感覚記憶」は非常に短い時間で失われます。目からの視覚情報が1秒程度、耳からの聴覚情報は4~5秒と言われています。このように、「感覚記憶」はすぐに消えて(上書きされて次のものに変わって)しまうので、必要そうなもの(注意を引いたもの・今後、特に生きていく上で必要と判断したもの)だけを符号化して「短期記憶」に移動します。ただし、「短期記憶」に移動し一時貯蔵できる容量には限界があり結構小さなものです。多少の前後はありますが、7つのかたまり程度(このかたまりを専門的にはチャングと言います)しかありません。電話番号の7桁はこの限界に近い量なのです。市外局番を入れると10桁、携帯も同じですがこれは、0から始まり決まった数のためかたまりの数を減らすことができるので覚えることができるのです。年号の語呂合わせによる暗記(このことをチャンギングと言います)などは、数字の並びを1かたまりにして情報量を少なくする手段なのです。この「短期記憶」の保持時間は15~30秒といわれています。1度見たり聞いたりしても一部は「長期記憶」に移動し保持されます。特に重要なこと(生命の維持などに必要なこと)や印象深かったことがこれに当たります。多くの事柄はこの間に反復学習をし、繰り返すことで「長期記憶」にするための記銘処理が行われるのです。「短期記憶」は、意識的に操作ができる状態で情報を保持できる唯一の記憶です。他のことや同様のものと関連付けをしたり、音楽などのリズムに乗せたり、ラップのような韻を踏んだり、語呂合わせにしたりして処理することができます。このように、必要なものは「長期記憶」に移動させなければなりません。一般に「長期記憶」は非常に大容量で一度定着すると半永久的なものと考えられています。そんなことなら、最初から全部「長期記憶」に入れてしまえばいいのにと思われるかもしれませんが、それだとどの情報が重要か判断できません。また、情報の量があまりにも莫大になりすぎて負担が大きくなるし、必要な情報を見つけ出すのに効率が悪くなってしまいます。記憶は取捨選択することが必要なのです。「覚える必要のないことは覚えない」「覚えたことを忘れる」のも重要なことなのです。
それでは次に、「長期記憶」について少し詳しくお話しします。「長期記憶」は大きく2つに分けられます。言葉にできる「宣言的記憶」と、自転車の乗り方やピアノの演奏のように、手続きに関するもので必ずしも言葉にできるとは限らない「手続き記憶」です。「宣言的記憶」には、ある期間と場所での出来事やその時の感情についての記憶である「エピソード記憶」と、時間や場所に依存しない一般的な知識としての「意味記憶」があります。昨日の夕食のメニューなどの身の回りの出来事や、事件事故・地震・水害などの社会的な出来事の記憶など様々な体験によって得られるものが「エピソード記憶」、家族の名前や誕生日などの個人的な事実、言葉の意味などの社会的に共有する知識の記憶など学習によって得られる知識が「意味記憶」と考えていただいてかまいません。そして、これらの「エピソード記憶」と「意味記憶」はお互いに干渉し補完し合っていると考えられています。
「エピソード記憶」は1度限りの機会(体験)で形成されます。生命の維持に関するもの以外は、その体験の印象が強いほど記憶も強く残ります。幼い頃の記憶で残っているものは大抵、何かしら強い印象とともに得られた体験であることがほとんどなのはこの実証例でしょう。また、同じような体験を何度も繰り返していくと記憶の「識別」が難しくなっていきます。中学生ならば毎日部活で同じような練習を繰り返していると、強く印象に残る出来事がない限り具体的なエピソードとしての記憶(いつどこで何をしたという記憶)は弱まっていきます。その代わりに、このようにして繰り返されたエピソードは「意味記憶」へと変化していきます。
子供たちにとってのテスト勉強などの情報は「意味記憶」です。しかし、これらの情報は、生命の維持という点からは余り重要という認識が持てません。従って、勉強で得ることができる、印象が薄い知識を定着させるのは容易ではありません。そこで、何度も繰り返して脳に情報を送り込み、生きていく上で必要だと思わせない限り、その情報は「長期記憶」に移されずに忘れてしまうことになります。このように「意味記憶」は、その時の感情と強く結びついている「エピソード記憶」と比べるとかなり淡泊なのです。その記憶をしっかりとしたものにするためには「復習」や「精緻化」(詳しく綿密なものにすること)によって覚える努力をすることが必要です。勉強の目的は、「意味記憶」を確かなものにすることです。
だからと言って、「エピソード記憶」を無視して「意味記憶」ばかり求めていても非効率です。実は、「エピソード記憶」で学習の効率を上げることが重要なのです。「エピソード記憶」と「意味記憶」の違いは様々ですが、その一つは「符号化」と「検索」のプロセスです。簡単に言うと「覚える方法」と「思い出す方法」が違うのです。「意味記憶」が概念的な精緻化(綿密にする方法)や体制化(覚える方法)が必要なのに対し、「エピソード記憶」は時間的な符号化や物語的な符号化が行われます。「いつ、どこで、誰が」のような記憶がこれに当たります。検索プロセス、言い換えれば思い出すときに利用するのはこういった手がかりになってくるのです。「エピソード記憶」から「意味記憶」に変わるときは、小さな情報はカットして保存します。まずは、これまでに撮って貯めてきた写真や動画、そして、その数が増えたなら似たような写真や余計な動画は捨ててしまいます。ストレージやアルバムがいっぱいになってしまうからです。同じように「エピソード記憶」から「意味記憶」へ移動の途中に細かい記憶や手がかりは失われてしまいます。通常はそれでも全く問題はありません。「意味記憶」は知識として存在します。ただし、学習中は「エピソード記憶」の手がかりの豊富さが利用できます。知識として定着する前の話です。
少し難しくなってきたので、ここまでのことを「学習」に関していったん整理してみましょう。学習効果を上げるには「記憶」することが大切なことは自明の真理です。では、記憶する、つまり「長期記憶」に「意味記憶」として情報を留めておくためには何が必要なのでしょう。それには、まず繰り返して脳に情報を送り続けることです。但し、単に情報を送り続けるだけでは効率が悪すぎます。そこで、効率を上げるための手段をいくつか紹介しましょう。
1番目は、「初めての…」です。初めて経験した記憶は残りやすいものです。覚えにくい知識があったら、これは「何の初めて」にできるだろう、と考えてみるといいかもしれません。次に「人に話す」ことです。「なぜその人に話した」、「いつ話した」のかなどや、「どんな反応だった」のかなどを記憶と結び付けていくことで「エピソード記憶」がより強固なものになっていきます。
次に、複数の知識を結びつけて「エピソード記憶」にすることも良い方法でしょう。この時、なるべく関係なさそうな知識を使うのがコツです。もともと関連した知識だと、他の構造と干渉して上手くいかないことがあります。でも、無いよりはいいので物の名前なら実物(無ければ写真など)と一緒に(見ながら)覚えると良いでしょう。
3つめは、「エピソードを見つけ出すエピソード記憶化」です。無理なら、その知識に何らか感情を揺さぶるようなエピソードがないか、探してみてください。興味のない人物なども、その背景にある物語を知ることでエピソードになるかもしれません。先生が授業で話していた無駄話が実はこのエピソード化を手伝ってくれるかもしれません。
そして、4番目は「特定の場所や時間と結びつけるエピソード記憶化」です。普段は勉強しないような場所や時間でも、それなりの知識を付け加えてやることで、その学習自体がエピソードになります。あえて、その知識に関係のある場所で勉強してみるのもありかもしれません。
そして、私はこれが一番ではないかと感じているのが「恥をかく(感情を揺らす)エピソード記憶化」です。恥ずかしかったことは覚えているものです。自信を持って答えたが実は大きな間違いだった。「ムダな恥ずかしさ」、言い換えれば、間違ってみる(間違いをおそれず発信・行動してみる)こと、そして、誰かに間違いを指摘されることは恥ずかしいもので、かなりの確率で覚えます。間違いを恐れずに発言をすることは、こんな効果もあるのです。
さて、いろいろお話をしましたが、ここで最初の悩みに戻って見ましょう。「単語が覚えられない」「歴史の用語が覚えられない」「漢字が覚えられない」「一度覚えても忘れてしまう」そして、お母さんの声である「うちの子は何度も書いて練習しているのだけれど、なかなか覚えられないようなのです」と言う悩みは、すべて記憶のメカニズムが解決してくれることがお分かりいただけたのではないでしょうか。ざっくり行ってしまうと、「あなた、又はあなたのお子様の行動は、このようなことが具現化する当然の行動をとっていたのですよ」と言うにつきるでしょう。繰り返していないのに記憶に留められるはずはありません。また「ちゃんとやっているのに」という場合は、「重要性を認識して、覚えようという気持ちを持ったり、それが無理なら他のことと関連づけたりという、工夫をしていないから何回も書いていても同じですよ」と答えるしかありません。前にも書いたように、「なかなか覚えられない」とか「忘れてしまう」というのは、人間の脳の仕組み(記憶の仕組み)から見ても仕方がないのです。何かしらのことが「頭に入らない」とか「覚えられない」と悩んでいるという人のほとんどは、1か月以内に繰り返さないことが原因です。最初の1か月で何度も繰り返し復習していくことによって、長く忘れない本物の記憶にできるのです。きつい言い方をすると「勉強の仕方が分からない」と言っているほとんどの事例は、実は「勉強をしていない」。つまり、この単純な繰り返しをしていないのです。
最後に、記憶の忘却についてお話ししておきます。実際に人が記憶したことをどのくらいのスピードで忘れていくか(もう一度覚えるのにどれだけの労力が必要か)という実験を行い、グラフにしたものが下に示した「エビングハウスの忘却曲線」です。
これによると、1時間後にはだいたい半分を忘れてしまいます。1日経つと約70%、そして、1ヵ月経つとほぼ記憶に残っていないという結果にりました。つまり、「2ヵ月前に勉強したことをすっかり忘れてしまった」というのは無理のないことなのです。また、覚えることが得意な人と苦手な人の忘れていくスピードにはほとんど個人差がないのです。受験生など多くの小中学生(もちろん大人も)は、覚えたことをずっと忘れずにいられたら何の苦労もないのにと思う人も多いでしょうが、人間の脳というのは覚えることと同様に忘れるようにできているいます。もしも、今までに経験したことをすべて記憶したとすると、脳はあっという間に限界に達してしまうでしょう。そうなったら困るので、脳は入ってきた情報のほとんどを忘れるようにできているのです。したがって、「忘れる」ということを前提にして勉強することが必要になってきます。結論を言うと、覚えたことを忘れてしまっても、いちいち気にしないで、また覚えればいいのです。「忘れたら覚える」ということを繰り返せばいいのです。人間の脳はほとんどのことをすぐに忘れてしまうようにできているのです。しかし、繰り返すことで記憶は強化されます。教科書の勉強ではこの「何度も繰り返す」ことが大切なのです。何回やったか。どのタイミングでやったか。どれだけ本気でやったかが重要なのです。
では、「繰り返す」、言い換えれば「復習」のタイミングがいつが最適なのかが重要になってきます。復習を行う場合は回数も重要ですが、もっと重要なのがタイミング(いつ行うか)です。何回も繰り返すに越したことありません。しかし、次々と新しいことを学んでいく小中学生では、自ずと繰り返す限度も発生します。そうしなければ新しいことが学べません。しかし、限られた復習であっても、そのタイミングによって記憶の定着率はかなりの差が生じます。
そこで、「エビングハウスの忘却曲線」に戻ってみていきましょう。この曲線をしっかりつかめば、より効率的な学習効果(復習)が望めるでしょう。この研究によって得られた結果の曲線によると、1ヵ月経つとほとんどのことを忘れてしまう(覚えなおすのに最初に記憶するのと同等の労力が必要)ということですから、1回目の復習が1ヵ月後、というのでは復習の効果は期待できません。専門家の意見によれば、忘却曲線に基づいて、1回目が翌日、2回目がその1週間後、3回目がその2週間後、4回目がその1ヵ月後、5回目がその2ヵ月後、とするのが理想的な復習のタイミングと考えられます。ただし、現実的には次々と新しいことを学ぶ小中学生にとっては、これを実行するのはほぼ不可能です。では、具体的にどうするかですが、「できる限りの範囲で忘却曲線を利用する」「優先順位をつける」ことで解決することができます。実際には「学習頻度の少ないものを優先して行う」「1回目の復習は最初に行う」ということを絶対に守ってください。さらに、どれだれ時間がない時でも、「その日にやったことを最低限読み返す」ことだけは必ず行ってください。これまでに何回か繰り返し行っていることは後回しにしても構いません。次に、「覚えにくいもの、出来の悪い問題を優先する」ということです。このようなものは何かと後回しにしがちですが、後に回せば回すほど理解して記憶するためにはより多くの時間がかかってしまいます。そこで、できる限りこのようなものは、優先的に復習することが必要です。逆に、覚えやすいものや得意なものは後回しにしても構いません。
復習のタイミングは考える以上に重要なものです。できるだけ「忘却曲線を意識した復習」を実行することが大切です。
では、計算問題は4回以上解かないと効果が上がらないと言われていますが、「繰り返して行うこと」は、理論だけでなく計算についても同様の効果があります。本当に基本的な問題は別として、計算問題は4回以上解かないと効果が上がりません。しかし、「完璧に解けた問題を繰り返し解く意味があるのか?」という疑問があると思います。これには次のような理由があります。「記憶を強化する」つまり、完璧に解けた問題でも、時間が経つと記憶があやふやになってきます。2ヵ月後に解いてまた完璧に解けるという保証はありません。記憶を強化するためには「反復練習」が必要です。
2つ目は「解答パターンを作る」ことです。「もっと効率的な解き方はないか」と考えながら解答手順を変えたり、別の方法を試すなど、いろいろ工夫をしながら解いていきます。そのなかで、こう解くと一番スムーズに解けるなという「自分なりの解答パターン」ができあがります。「自分なりの解答パターン」が築き上げられると応用問題にも対応できます。また、実際の試験(入試など)では解答スピードを上げることが要求されます。最初は時間のかかった問題も、繰り返し解くと当初の3分の2の時間で(または半分の時間で)解けるようになります。「それは問題を覚えてしまったからだろう」という反論があるでしょうが、スピードを上げるためには「反復練習」しかありません。ただし、スピードを上げるといっても限度があり、限度以上のスピードを求めると、問題を読まないで解く(これをやったら100回解いても効果はゼロです)などの悪影響が出るため注意が必要です。
3番目は「精度を上げる」ことです。簡単な問題でもうっかり間違えることがあります。これは悪い経験ではありません。簡単な問題でも、気を抜くと手痛い目に遭うと気づかされます。しかし、それを実際の試験でやってしまったら大変です。実際の試験では、簡単な問題を確実に取るための精度が要求されるので、精度を上げるためには反復練習しかありません。
最後は「読解力を養う」ことです。何度も解いていると、「これは重要な資料だが見落としやすいぞ」とか、「見た目はいつもと同じだけれどこの部分はパターンが違うな」とか、「この資料はなくても解けるのに何のために書いてあるのか」といったことに気がついてきます。このような、問題文に対する敏感な感覚を養うには、反復練習によるセンスの錬磨しかありません。よく「計算問題は最低3回解きましょう」と言いわれますが先ほども述べたように、効果を上げるためには4回以上が必要です。もちろん、4回解いてもできるようにならないときは、5回でも6回でも解いてください。
「エピソード記憶」の手がかりを利用する方法を4例挙げてみました。他にもいろいろとあります。大切なことは「時間」「場所」「感情」などに結び付けるといいのです。各自がそれぞれ自分に合ったやり方を見つけてください。「エピソード記憶」と「意味記憶」はそれぞれの記憶が異なる性質を持つということです。それぞれの記憶の性質を理解することで、より上手く学習することができるようになります。今回は「エピソード記憶の手がかりを利用すること」についてお話ししました。試験に出る漢字が頭に入らない、英単語が覚えられない、と悩んでいるという人は、1か月以内に繰り返さないことが原因です。最初の1か月で何度も繰り返し復習していくことによって、長く忘れない本物の記憶にできるのです。